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「ばけばけ」外国人教師モデルは小泉八雲(ハーン)!人柄や壮絶な生い立ちを紹介!夏目漱石と関係も?!

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朝ドラ「ばけばけ」外国人教師モデルは小泉八雲

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NHK朝ドラ「ばけばけ」では、明治時代の急激な西洋化を背景に、さまざまな変化を遂げていく世の中に取り残された人々が少しずつ”化けて”いく様子が描かれます。

そしてヒロイン・松野トキのお相手となる外国人教師は、ラフカディオ・ハーン(のちの小泉八雲)がモデル!

小泉八雲は、いったいどんな人物だったのか?

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その人柄や生い立ち、そして夏目漱石との関係について詳しく紹介します!

朝ドラ「ばけばけ」外国人教師モデル・小泉八雲(ハーン)の生い立ち

出身地や父親母親は?

小泉八雲(こいずみ やくも)は、1850年6月27日にギリシャのレフカダ島で生まれました。

出生名はパトリック・ラフカディオ・ハーン(Patrick Lafcadio Hearn)

ミドルネームの「ラフカディオ」は「レフカダ島の」を意味しています。

アイルランド系の父とギリシャ人の母という家庭で育ちました。

1896年(明治29年)に日本国籍を取得し、一時期住んでいた松江にちなんで「小泉八雲」と名乗るようになりました。

「八雲」は島根県松江市の旧国名である出雲国にかかる枕詞「八雲立つ」に由来します。

幼少期から来日までの軌跡

異国情緒を求める時代背景から、八雲は日本に来るまでの間、アイルランド、フランス、アメリカ合衆国、西インド諸島などを放浪しました。

その間、常に異文化に触れ、どのような土地でも人間は根底では同じであることを信じていました。

特にシンシナティでは、州法を犯してまで混血黒人と結婚しようとするなど、あらゆる人種や文化に対する開かれた姿勢を行動で示していました。

この考えは揺らがず、彼の文学やその後の生き方にも表れています。

日本での活動と功績

来日した八雲は、松江から熊本、神戸、東京と転居もしながら、日本の英語教育の最先端で活躍し、日本各地の文化を記録し本としてまとめ西洋に紹介しました。

特に「怪談」を始めとする日本文化を広く伝えることに貢献しました。

また、松江では島根県尋常中学校などで英語を教えていました。

八雲の著作は、日本と西洋の架け橋としての役割を果たし、現代の日本でも高く評価されています。

皮肉にも日本人の心理がよくわかる本として八雲著作の「Japan-An Attempt at Interpretation」は、太平洋戦争で対日本心理戦で使われたとも言われています。

さらにスマトラ島沖地震で世界に知られるようになった「TSUNAMI」ですが、最初に英語として世界に紹介したのはハーンの作品「生神」の中の「稲村の火」でした。

小泉八雲の経歴やエピソードから分かる人柄!

人柄や人間性

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、多文化的な環境で育った経験を持っています。そのため異文化への理解のある人物でした。

母親はギリシャ人でしたがアラブ人の血も混じっていたようで「自分には半分東洋人の血が流れているので日本の文化や芸術などを肌で感じられる」と自慢していたのだそう!

大学で英語を教えていた学生には、作文を書かせた際、優秀な生徒に自腹で準備した英語の本を贈ったなどの学生思いのエピソードも残っています。

マツムシやスズムシ、そして草ひばりという小型のコオロギなどを飼ってその音色を楽しみ愛でていた八雲は、著書「草ひばり」の中で飼っていた草ひばりが亡くなった悲しみを描くほど、やさしい心の持ち主です。

家庭環境

ラフカディオハーン(のちの小泉八雲)は1850年6月27日にギリシャのレフカダ島で生まれました。

父はアイルランド出身のプロテスタントであり、イギリス軍の軍医少佐として島に駐在中に裕福なギリシャ人の名士の娘だった母ローザ・カシマティと結婚しています。

しかし、家庭環境は複雑だったようで、父が西インドに赴任中、母は精神を病みギリシャに帰国し、両親は離婚。それ以降ハーンは両親にはほぼ会っていません

ハーンの兄弟は兄と弟が1人ずつおり、長男の兄は幼い頃に亡くなり、弟のジェイムズとは4歳差です。

両親離婚後は父方の大叔母のサラ・ブレナンのもとで厳格なカトリック文化の中で育てられました。

この経験からキリスト教に反感を抱き、少年時代にはケルト原教のドルイド教に傾倒していたと言われてます。

メモ

ドルイド教とは?

古代ケルト人の宗教で、占いや天文を重視しており生贄の儀式をしたり、ドルイドと呼ばれる神官を中心に活動し当時異端視されていた。

霊魂の不滅や輪廻転生を信じ、死の神が世界の主宰者と信仰していた宗教で、オーク樹を神聖としている。

大学での教育

ラフカディオはフランスやイギリスのダラム大学で教育を受け、1869年にアメリカに渡りました。

そして得意のフランス語を活かして、20代前半からジャーナリストとして活躍。

文芸評論から事件報道まで幅広い分野で著述し、才能を発揮しました。

このジャーナリストとしての経験も、後の作家活動に大きな影響を与えていると考えられます。

メモ

ダラム大学ってどんな大学?

1832年に設立されたイギリス伝統のカレッジ制を取り入れている英国の名門大学。

現在も世界の大学ランキングトップ100にも入っている人気の大学。

移り住んだ土地

ハーンが移り住んだ土地を振り返ると、好んで「島」に住んでいます。

ロンドンやパリ、ニューヨークなどの有名な都市には住まず、辺境を好んで住んでいたようです。

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その中の一つが日本列島だったということでしょうか。

やはりちょっと変わった性格の持ち主だったということかもしれません。

小泉八雲と夏目漱石の関係は?

八雲の後を継いだのが漱石だった!

東京帝国大学で英語教師として教鞭をとっていた小泉八雲が辞めたあとの後任が夏目漱石でした

ですが、八雲が大学から解任を受けた際、それに対して生徒から留任運動が起きたほど人気がありました

漱石の苦労

東京帝国大学で教鞭をとっていた小泉八雲は生徒からとても慕われていたため後任の漱石は苦労したと言われています。

それは教え子の川田順(日本の歌人で実業家で住友総本社の総務理事も務めた人物)が、ハーンのいない文科では学ぶことがないという理由でわざわざ法科に転科したほどです。

川田は夏目漱石のことはなんと「夏目など問題になりゃしない」と言っていたそう!

夏目漱石は後釜に据えられ相当苦労したことと想像できますよね・・

「ばけばけ」で描かれそうな小泉八雲エピソード

視力が弱く左目が見えなかった!

八雲の左目は16歳の時のケガで失明していました。

そのため残っている八雲の写真は必ず左側を手で隠したり、右側だけをカメラに向けたもの、うつむいたものなど左目が映らないようなポーズとなっています。

また、両目とももともと強度の近視で、晩年には右目の視力も落ちてしまい、執筆する際には98cmもある高い机を使い目を紙に近づけながら、ランプの強い光の元で行っていたと言われています。

教え子によると、左目はひどく突き出ており、右目も強度の近視だったため書籍などに額がつくほど近づかないと読めないため背中が変形し曲がってしまっていたようです。

妻セツとのやり取り

八雲(ハーン)は日本語が分からず、妻のセツが英語が分からない状態なので、2人のやり取りは特殊な仮名文字で行われていました。

この仮名文字は夫婦だけの間で通じるもので、八雲が避暑地に行くなどして自宅を離れている間、自宅にいるセツに毎日送っていた手紙の中で使われています。

文章へのこだわり

アメリカでの新聞記者時代のハーンのニックネームは「オールドセミコロン」でした。

これは句読点「,」一つとっても自分の執筆した文章にこだわりがあったことを表しています。

また「原稿は9回書き直さなければまともにならない」という執筆時のこだわりがあり、怪談をまとめた本の文章中にも表れています。

例えば「Never again was she seen」という雪女の最後の文は、sが3つ連続しており、これは八雲のこだわりだとされています。

かなりの筆まめだったことでも有名で、さらにアメリカに住んでいたころに勤勉が身につき、日本では英語の教師として活動しながら14年間の間に13冊もの本を出しています。

鼻かけ地蔵への愛

熊本で暮らしていた頃、英語教師として通っていた第五高等学校の裏手にある小峰墓地の「鼻かけ地蔵」に時間ができると会いに行っていたというエピソードがあります。

また、自宅から第五高等学校までを人力車に乗って通っていた、第二旧居から子飼商店街の入り口までの道は「八雲通り」と名付けられ地元の人に愛されています。

他の情報もチェック!

まとめ

「ばけばけ」は、明治時代の急速な変化の中で生きた人々の姿を描いたドラマ作品。

主人公・松野トキは、あのラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の妻・小泉セツをモデルとしています!

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、異文化の融合を体現した人物とも言えます。

ギリシャに生まれ、アイルランド、アメリカ、日本と各地を放浪し、どの土地でも深い関心と愛情を示しました。

特に日本では、その文化や風俗に感銘を受け、「怪談」を始めとする多くの著作を残しました。

小泉八雲がどんな人物だったのか?その生い立ちや人柄について調べて行く中で、夏目漱石との意外な関係についてのエピソードも。

同じ時代に生きた二人の偉大な文学者が交差する瞬間を垣間見れます。

また、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、多文化背景と豊かな経験を持つ人物です。異文化への理解もありました。

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