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朝ドラ「ブギウギ」菊地凛子(茨田りつ子)のモデルは誰?どんな人物?

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朝ドラ「ブギウギ」菊地凛子(茨田りつ子)のモデルは誰?どんな人物?

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朝ドラ「ブギウギ」の魅力は、その物語が実在の人物や出来事がもととなっているところにありますよね。

こちらでは菊地凛子が演じる役、「茨田りつ子」に注目です。モデルとなった実在の女性について、その魅力に迫っていきます!

朝ドラ「ブギウギ」で描く時代背景には戦後の混乱と復興もあり、茨田りつ子もまたその波に翻弄されながら生き抜いてきたはず。

りつ子のモデルとなった人物は、その時代にどんな人生を歩んだのか?気になるところを探っていきます!

朝ドラ「ブギウギ」菊地凛子(茨田りつ子)のモデルは誰?

朝ドラ「ブギウギ」菊地凛子さん演じる茨田りつ子のモデルは誰なのでしょうか?

モデルとなった人物の名前

菊地凛子演じる茨田りつ子は、別名「ブルースの女王」と呼ばれる女性です。

そのモデルとなったのは、実在し本当に「ブルースの女王」と呼ばれていました。

そう、あの有名な歌手の淡谷のり子さんです。

性格や信念

淡谷さんは「やりたいことは意思を曲げずにやりぬくほど、信念の強い女性」で、強情と言われてしまうほど、自分で決めたことは決して曲げない女性でした。

ドラマ「ブギウギ」の中でもそんな強い女性・りつ子が見れるのではないでしょうか!

朝ドラ「ブギウギ」菊地凛子(茨田りつ子)のモデルはどんな人物?

朝ドラ「ブギウギ」で菊地凛子さんが演じる茨田りつ子のモデルである淡谷のり子さんは、どんな女性だったのでしょうか?

どんな人物?

淡谷さんが「ブルースの女王」になるまで、その生い立ちは壮絶でした。

青森の呉服店に生まれ、少女時代は裕福な家庭で育ったそうですが、戦争や不運が重なり家業は衰退、逃れるように、母と妹と共に上京したそうです。

声楽の才能があり、本格的に学んだのち、淡谷のり子としてクラシック歌手としてデビューしています。

生涯

しかし、デビュー後の収入は乏しく、家族の生活のために洋楽の志向を高めた楽曲に挑戦するようになりました。

そして「私此頃憂鬱よ」で初ヒットしたのり子は、「別れのブルース」の大ヒットにより、「ブルースの女王」と呼ばれるようになりました。

晩年も歌手として活動するなど、歌に捧げた人生を送っていました。

「別れのブルース」は、主人公・花田鈴子に大きな影響を与える歌なので、菊地凛子がどのように歌い上げるのか楽しみですね。

別れのブルースがどんな歌か聞いてみたい!

淡谷のり子の世界~別れのブルース~

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淡谷のり子
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「別れのブルース」の大ヒットを受け「ブルースの女王」と呼ばれ、1999年に92歳で亡くなるまで生涯を歌手として全うした淡谷のり子さん。彼女がシャンソンなど海外の音楽を日本に広めたヒット曲と、日本の楽曲が詰まったCDです。DISC1には服部良一らによる日本の楽曲、DISC2には外国の作品を収録。淡谷のり子の音楽を心ゆくまで楽しめる一枚。

1999年、20世紀の幕が降りる中、ブルースの女王として92歳でこの世を去った淡谷のり子さん。そんな彼女の生涯を振り返る本です。

子どものころに実家が倒産し、上京後はモデルとして生計を立てつつ、声楽を学んだのり子。『別れのブルース』がヒットした頃には時局は悪化し、そのスタイルが軍部から非難されましたが、のり子は変わりませんでした。

戦前、戦中、戦後を生き抜き、本物の「歌手」としての足跡をたどった一冊。

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まとめ

菊地凛子演じる茨田りつ子は、別名「ブルースの女王」と呼ばれます。

モデルとなった女性は実在し、本当に「ブルースの女王」と呼ばれていた、歌手・淡谷のり子です。

のり子は意思を曲げずにやりぬくほど、信念の強い女性でしたが、一方では強情とも言われるほどの芯の強い女性でした。

青森の呉服店に生まれ裕福でしたが、戦争や不運が重なり上京し、クラシック歌手としてデビュー。

乏しい収入から洋楽に挑戦し、ヒット曲「別れのブルース」により「ブルースの女王」と称されました。

晩年も歌手として活動し、歌に捧げた人生を送っていました。

菊地凛子が「別れのブルース」を歌う姿が、主人公・花田鈴子にどのような影響を与えるか楽しみです。

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