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小松暢(あんぱんヒロイン朝田のぶのモデル)出身や兄弟などプロフィール!子供はいた?

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朝ドラあんぱんのヒロイン朝日のぶのモデルは小松暢!子供は?どんな女性?晩年は?

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朝ドラ「あんぱん」のヒロイン朝日のぶのモデルは、あのアンパンマンの作者やなせたかしさんの妻・小松暢さんです。

ドキンちゃんのモデルとも言われている”ハチキンおのぶ”はどんな女性だったのでしょうか?また二人に子供はいたのでしょうか?

やなせたかしさんをずっと支えてきたおのぶさんについてご紹介します。

ドラマlove子
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やなせたかしさんとその妻・小松暢さんをモデルにして描く、夫婦の『愛と勇気の物語』朝ドラ「あんぱん」のヒロインに迫ります。

朝ドラ「あんぱん」のヒロイン朝日のぶのモデル小松暢の出身や家族などプロフィール

朝ドラ「あんぱん」のヒロインは、朝日のぶですが、そのモデルは「小松暢」さんという女性です。

アンパンマンの作者・やなせたかしさんの奥さんとなる女性なのですが、どんな女性だったのでしょうか?

生年月日・出身

小松暢さんは高知県高知市で生まれています。

1918年(大正7年)生まれの女性でした。

もしご存命なら2025年で107歳となります。

夫のやなせたかしさんは1919年(大正8年)生まれなので妻の暢さんとは1歳差でした。

本名や名前の読み方

もちろん本名も「小松暢」さん。

読み方は「こまつのぶ」です。

暢という字は「ちょう」「のべる」「のびる」とも読み、長く伸びる、のびのびするなどの意味があります。

暢さんはその名の通りのびのびとのびやかに育った女性だったようです。

あだ名は「ハチキンおのぶ」「韋駄天おのぶ」。

やなせさんの作品「アンパンマン」に登場するドキンちゃんのモデルともなっています。

出身中学や高校などの学歴の情報はありません。

兄弟や家族

小松暢さんの兄弟や家族についての情報はほとんど出ていないようです。

ですが暢さんは高知新聞が採用した初の女性記者だったり「代議士の秘書になる」と言って新聞社を退社し上京したりとかなり行動的な印象です。

となると、年上の男兄弟がいてもおかしくなさそうです。

ご両親についてもそんな暢さんのことを怒らずあたたかく見守ってくれるような人たちだったはず。

ドラマ「あんぱん」でどのように描かれるのか?も注目です。

性格

『ハチキンおのぶ』と呼ばれていた小松暢(こまつのぶ)さん。

この『ハチキン』とは土佐弁で『男勝りな女性』を指す言葉です。

その言葉通りキビキビと闊達な、度量が大きく細かいところにこだわらない、そんな性格だったそう。

また『韋駄天おのぶ』とも呼ばれており、高知県内で優勝するほど足が速かったのだそう!

結婚後に漫画家を目指していたやなせさんに対しては「なんとかなる。私が働いて食べさせる」と言って励ましていた暢さん。

仕事以外は全て奥さんである暢さんに頼っていたとやなせさんも語っています。

美人だった

やなせさんが高知新聞社に入社した、戦後の1946年。2人は同僚として出会います。

美少女だった小松暢さん。その姿にやなせさんは一目惚れするほどでした

その証拠にやなせさんは高知新聞時代に、同じ部署で前の席になった暢さんのことをすぐに好きになったのだそう。

また、暢さん側からは、2人で一緒に食べたキノコ鍋で食中毒になったやなせさんを小松さんが看病したことで愛情が芽生えたんだそうです。

ドキンちゃんのモデル!

小松さんはアンパンマンに出てくるあの人気キャラ『ドキンちゃん』のモデルになった女性なのではないかとも言われています。

確かにドキンちゃんってお目目がぱっちりした美人ですよね。

自分のことを世界で一番かわいいと思っていて、わがままで自由奔放な性格ではありますが、たまに優しい一面を見せ、多くの人を魅了しています。

そしていつも女王様きどりで、ばいきんまんを困らせているドキンちゃん。

やなせさんと小松さんは、ばいきんまんとドキンちゃんのような関係だったのでしょうか?!

やなせさんはそんな暢さんのことを家では「おぶちゃん」と呼んでいたのだそう。

また暢さんはよくやなせさんに「逆転しない正義とは飢えて死にそうな人に一切れのパンをあげること」と言って励ましていたそうで、それがアンパンマンが自らの顔をあげて皆を助けるエピソードにつながっていることは明らかです。

朝ドラ「あんぱん」のヒロイン朝日のぶのモデル・小松暢には子供はいたの?

朝ドラ「あんぱん」の主人公夫妻のモデルとなっている、やなせたかしさんと小松暢さんには子供はいませんでした。

『アンパンマンが自分たちの子ども』とも公言されていました。

実はやなせたかしさんが生みだしたアンパンマンの、『お腹が空いている人にあんぱんをあげる』というくだりは、暢さんがずっとやなせさんに言い聞かせて励ましていた「逆転しない正義とは、飢えて死にそうな人がいるときに一切れのパンをあげること」というメッセージが元になっているようです。

なので、アンパンマンは2人が生んだキャラクターであり物語でもあるわけです。

だから、アンパンマンは2人の子どもでした。

朝ドラ「あんぱん」のヒロイン朝日のぶのモデル・小松暢の生涯と晩年

1918年の大正7年に高知県高知市で生まれた小松暢さんは、男勝りな性格の女の子で、雷が鳴った時には「もっと鳴れ!」と言ったというエピソードが残っているほどです。

そして、高知新聞に入社した暢さんは、高知新聞初の女性記者だったのだそう。

当時としては男社会の中に果敢に飛び込んで行った女性ということになります。

その後「代議士の秘書になる」という理由で、やなせさんよりも先に上京。

1年後にやなせさんは暢さんのことを追いかける形で上京しています。

こんな風に、暢さんの方がリードするような関係だったようで、漫画家を目指すやなせさんに対して「私が働いて食べさせる!」と言っていたとのこと!

漫画家として独立を目指していた やなせさんをずっと支えてきた小松暢さんでしたが、1988年に乳がんが発覚。

この年というのは、奇しくもアンパンマンのアニメ放送が開始された年でした。

その後、アンパンマンが人気になっていくのを見届ける形で1993年11月22日に75歳でガンで亡くなられています。

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まとめ

朝ドラ「あんぱん」のヒロイン・朝日のぶのモデルは「小松暢」さんという、やなせたかしさんの妻となる女性です。

『ハチキンおのぶ』と呼ばれていた小松暢(こまつのぶ)さんは、とても男勝りな性格で、『韋駄天おのぶ』とも呼ばれ、足が速かったのだそう!

そして美少女だった小松暢さんの姿にやなせさんは一目惚れしています。

アンパンマンのあの人気キャラ『ドキンちゃん』のモデルにもなっている女性と言われています。

やなせたかしさんと小松暢さんには子供はおらず、2人は『アンパンマンが自分たちの子ども』と言っていました。

やなせさんと暢さんの関係は暢さんがリードするような関係だったよう。

ずっとやなせさんのことを支えてきた暢さんでしたが、1988年に乳がんが発覚し、1993年に75歳で亡くなられています。

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