2025年度前期の朝ドラ「あんぱん」でヒロインのぶを演じる今田美桜さんはお相手といつ頃結婚することになるのでしょうか?
朝ドラ「あんぱん」は漫画家のやなせたかしさんとその妻・小松暢をモデルにした物語なので、2人の結婚がいつだったのか?
ドラマのモデルとなっているやなせたかし夫婦の結婚生活のエピソードなどもあわせてご紹介します!
朝ドラ「あんぱん」ヒロインのぶはいつ何歳で結婚する?出会いや馴れ初め
朝ドラ「あんぱん」ヒロイン朝田のぶはいつ結婚するのか?は、モデルとなっているやなせたかし夫妻が結婚した年になるはずです。
やなせたかしさんと奥様・小松暢さんが結婚したのは、1947年のこと。
この時やなせさんは28歳。暢さんは29歳でした。
ちょうど日本国憲法が施行された昭和22年のことになります。
2人の出会いは、小松暢さんが高知新聞で働いていた時のことです。
高知新聞に就職したやなせさんは「月刊高知」の編集部で働いていた女性記者・小松暢さんと出会います。
このときやなせさんは暢さんに一目ぼれしています。
そして暢さんが転職し一足先に上京した後で暢さんの後を追うようにして上京しています。
上京後に2人は結婚。
「ハチキンおのぶ」「韋駄天おのぶ」という呼び名があった暢さんは、男勝りで豪快な性格の女性だったそう。
上京できずにいたやなせさんの背中を押してくれたのは誰でもなく暢さんでした。
そしてやなせさんが漫画家を志すようになるのも暢さんがいたからにほかなりません。
「あんぱん」でもこの辺りの2人の出会いや馴れ初めのエピソードが丁寧に描かれていくのではないでしょうか。
朝ドラ「あんぱん」のモデルやなせたかし夫婦の結婚生活エピソード
朝ドラ「あんぱん」のモデルとなっている、やなせたかし夫婦の結婚生活についてもさらに詳しくご紹介します。
やなせさんは結婚後に漫画家を目指しますが、漫画家としては収入が少なく2人で生活することはできません。
そしてやなせさんは貧乏生活が嫌だったため、しばらく三越の宣伝部でデザイナーとして働きながら『兼業漫画家』として活動していました。
この期間に三越の包装紙の「MITSUKOSHI」の文字デザインをやなせさんが手がけたことはとても有名な話です。
その後ついに1953年3月に、三越の給与に比べて漫画からの収入が3倍になったことで、退職し『専業漫画家』となります。
この時、背中をおしてくれたのも暢さんでした。
朝ドラ「あんぱん」ヒロイン朝田のぶに子供は産まれる?
朝ドラ「あんぱん」ヒロイン朝田のぶに子供は産まれるでしょうか?
モデルとなっているやなせさんと小松暢さんのお二人の間には、子供は生まれていません。
なので朝ドラのヒロインのぶにも子供は産まれないはずです。
朝ドラ「あんぱん」はモデルはいますが基本的にはフィクション作品なので、団体名や登場人物名などは実物とは違うものになっています。
なのでもしかしたらドラマでは別の展開というのもあり得ますが、ストーリーはモデルの人物の人生と大幅にはズレていないはず。
小松暢さんは「それいけ!アンパンマン」の放送開始の1988年に、乳がんのため余命3ヶ月と告げられています。
ですが、実際には乳がん発覚から亡くなるまでは6年という時間がありました。
この6年間は二人で過ごす時間をそれまでよりもたくさん増やしていたそうです。
さらに、やなせさんは「アンパンマンが自分たちの子どもだ」と話しており、やなせたかしさん小松暢さん夫婦にとってアンパンマンはかけがえのない存在だったのだそうです。
新しい情報が出てきたら随時チェックしていきたいと思います。
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まとめ
朝ドラ「あんぱん」ヒロイン朝田のぶはいつ結婚するのか?は、モデルとなっているやなせたかし小松暢夫妻が結婚した年の1947年となるはずです。
2人の出会いは、小松暢さんが高知新聞で働いていた時のことで、やなせさんの一目惚れだったのだそう!
高知新聞を退社し状況した後に2人は結婚しましたが、やなせたかし夫婦の結婚生活は、最初は貧乏生活だったようです。
ですが、それが嫌だったやなせさんはしばらく三越の宣伝部でデザイナーとして働きながら『兼業漫画家』として活動し、漫画家の収入が3倍となった時点で『専業漫画家』になりました。
やなせさんと小松暢さんのお二人の間には、子供は生まれていないので、朝ドラのヒロインのぶにも子供は産まれないはずです。
2人はアンパンマンが子供だと語っており、朝ドラでも「アンパンマン」が2人の子どものように描かれるのではないでしょうか。