NHKの朝ドラ「ばけばけ」は、その物語の舞台となる明治時代の日本と、異文化交流の象徴ともいえる小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)とその妻セツに焦点を当てた物語!
調べてみると、小泉八雲は、日本各地に足跡を残し、たくさんの人々に影響を与えていました。
そこでこちらでは、島根県松江、熊本県熊本市、兵庫県神戸市、そして東京都新宿区と小泉八雲ゆかりの地を紹介し、それぞれの場所について詳しく見ていきます。
島根県松江市—小泉八雲の足跡
小泉八雲旧居(ヘルン旧居)
小泉セツと結婚した八雲が熊本転勤まで暮らした武家屋敷。
【住所】島根県松江市北堀町315
書斎や庭が当時のまま残っています。
小ぢんまりとした御宅で、普通よりも高めの机も部屋の中に置かれています。
八雲は視力が悪く机を高くして資料を読んだり執筆していたと言われており、その机が書斎にあるようです。
また、コオロギなどの虫を飼っていたことでも有名な八雲なので、庭には虫の音が響いていたのかもしれませんね。
小泉八雲記念館
八雲に関する資料を展示・公開する世界で唯一の単独施設。
小泉八雲旧居に隣接しています。
【住所】島根県松江市奥谷町322
八雲が使っていたものを写真とともに展示してある他、怪談の音声ブースも堪能できるようになっています。
富田旅館跡
松江へ赴任後に宿泊した旅館。現在は「大橋館」となっています。
【住所】島根県松江市末次本町40-40
宍道湖の湾口部の大橋川沿いにあります。
島根県尋常中学校跡
八雲が英語教師として教えた学舎の跡。
【住所】島根県松江市殿町8-1
現在は島根県警察本部庁舎が建っています▼
塩見縄手公園
小泉八雲の胸像が建立されているのが塩見縄手公園です。
【住所】島根県松江市北堀町318
松江城
教師生活の舞台地のお城。別名「千鳥城」とも呼ばれます。
【住所】島根県松江市殿町1-5
堀尾吉晴が築城した江戸時代のお城で、5層になっているのが特徴。
城山稲荷神社
八雲が好んだ石狐のある神社。
【住所】島根県松江市殿町477
松江城から徒歩15分ほどの場所にあります。
境内にある600体を超えるお稲荷様が有名です。
児守稲荷神社
八雲が願掛けの絵札等に興味を持ち、訪れていた子育ての神社が、児守稲荷神社です。
【住所】島根県松江市石橋町74
住宅地にたたずむ神社で、現在はブランコや滑り台などの遊具もあり子供たちの遊び場にもなっているようです。
ばけばけ小泉八雲の熊本市時代の場所
1891年11月~1894年の神戸市への転居まで、八雲は熊本県の熊本市に住んでいました。
第五高等中学校
熊本市の第五高等中学校の英語教師として勤めることになります。
第五高等中学校はのちの熊本大学です。
【住所】熊本県熊本市中央区黒髪二丁目39-1
小泉八雲熊本旧宅
熊本に転居した当時に住んでいた家で、熊本市指定の文化財となっています。
保存会が修理をし復原されました。
現在は公園の一角に移設されています。
ばけばけ小泉八雲の神戸時代の勤務地
1894年から1896年の秋に東京に転居するまで、八雲は神戸市で過ごしています。
ジャパンクロニクル社
ジャパンクロニクル社に勤務することになりハーンは熊本市から神戸に引っ越します。
ジャパンクロニクル社は焼失してしまいましたが、左側の倉庫は残っているそう。
神戸浪花町の北端にあり、現在の朝日新聞社の隣りの場所です。
当時は大丸百貨店の西側、元町商店街の入口の少し南側のあたりにあったそうです。
東京都新宿区—八雲の最期の地
1896年秋から1904年の9月に亡くなるまで、八雲は東京の新宿区で過ごしました。
新宿区の小泉八雲旧居跡
東京帝国大学文科大学の英文学講師を務めることになり、神戸から引っ越します。
当時の牛込区市谷富久町に住むことに。
【住所】〒162-0067 東京都新宿区富久町7−30
成女学園の一角にあり、都会の中にたたずむ落ち着いた雰囲気のお家です。
小泉八雲終焉の地・西大久保
1902年3月に当時の西大久保(現在の大久保)に引っ越し、その1年後の1903年に東京帝国大学を退職します。
【住所】東京都新宿区大久保1丁目
大久保小学校の横に説明書きがあります。
お墓の場所
八雲のお墓は東京の雑司ヶ谷霊園です。
【住所】〒171-0022 東京都豊島区南池袋4丁目25−1
夏目漱石の墓やジョン万次郎の墓もこちらの霊園にあります。
ばけばけにも登場しそう!小泉八雲(ラフカディオハーン)の著作に登場する場所
普門院
「小豆とぎ橋」の怪談の舞台となったお寺。
【住所】島根県松江市北田町27
小さな池やお庭と茶室があり、のどかな寺院です。
月照寺
「知られぬ日本の面影」の中で紹介されている、人食い大亀の石像がある寺。
【住所】島根県松江市外中原町179
清光院
「芸者松風の幽霊」の、消えぬ血の足跡の話が伝わる寺。
【住所】島根県松江市外中原町清光院下194
大雄寺
「飴を買う女」の舞台となった寺
【住所】島根県松江市中原町234
源助柱供養碑・大庭の音のする石
「神々の国の首都」の中で人柱のことが記されており、人柱となった源助を供養するために建立された石碑があります。
大庭の石は、一定の距離以上運ぶことができないという言い伝えがあります。
【住所】島根県松江市白潟本町(松江大橋南詰)
その他の小泉八雲に関連する場所
焼津小泉八雲記念館(静岡県焼津市)
八雲は焼津に海水浴に来ていたため、この地に小さな記念館があります。
焼津地方を愛していて、地元の魚やさんなどとも交流があったと言われています。
【住所】〒425-0071 静岡県焼津市三ケ名1550
池田記念美術館(新潟県南魚沼市)
池田記念美術館には、八雲のゆかりの品が小泉八雲文学資料室に展示されており、家族との手紙や息子たちに英語を教えた時のノートなどがあります。
八雲の本を出版していた恒文社から直接美術館に提供されたものだそう。
富山大学附属図書館中央図書館ヘルン文庫
富山大学附属図書館中央図書館にはヘルン文庫というのがあり、八雲の旧蔵書が2453冊もあります。
小泉八雲は帰化する前の名前がラフカディオ・ハーンというので、「ヘルン先生」と呼ばれていたので「ヘルン文庫」と名付けられています。
八雲は富山に来たことはありませんでしたが、八雲が亡くなった後に小泉家に保管されていた蔵書をどこかに譲渡して残したいと小泉家では検討されていました。
そのことを、ハーンの教え子だった田部隆次氏の兄である、のちに富山大学となる旧制富山高等学校の初代校長・南日恒太郎氏が聞き、譲渡されたそうです。
Lefcadio Hearn Historical Center(ギリシャ・レフカダ)
レフカダ島はハーンが生まれた場所で、当時はイギリスの保護領でした。
「レフカダ」から「ラフカディオ」というミドルネームがつけられたのだそう。
ダラム大学セント・カスバーツ・カレッジ(イギリス)
イギリスのダラム大学セント・カスバーツ・カレッジ(のちのアショウ・カレッジ)は八雲が教育を受けた学校です。
ただ卒業はしておらず、お世話になっていた大叔母が破産した関係で八雲は退学となっています。
この学校にあった回転ブランコで遊んでいるときにロープの結び目が当たり、八雲は左目を失明しています。
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まとめ
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、日本の様々な土地でその足跡を残し、たくさんの作品を執筆しました。
島根県松江市、熊本県熊本市、兵庫県神戸市そして東京都新宿区など、居住していた家や記念館、勤めていた場所は、彼の生涯を知る場所となっています。
小泉八雲ゆかりの地を知ることで、朝ドラ「ばけばけ」の世界によりどっぷり浸れること間違いなし!
ぜひ、「ばけばけ」のゆかりの場所をチェックしてみてください。