2024年前期朝ドラ「虎に翼」。
その登場人物の中に、桜井ユキさん演じる桜川涼子がいます。
この桜川涼子という女性にはモデルとなった人物がいるのでしょうか?いったいどんな女性がモデルとなっているのか?
朝ドラ「虎に翼」の桜川涼子(桜井ユキ)のモデルの華族令嬢はどんな女性?
朝ドラ「虎に翼」で桜井ユキさんが演じる桜川涼子はのモデルはどんな女性なのでしょうか?
名前
朝ドラ「虎に翼」に出てくる「桜川涼子」のモデルとなった人物は、中田正子さんなのではないかと思われます。
(ドラマの放送とともに予想が合っているかチェックしていきたいと思います。)
中田 正子(なかた まさこ)さんは、東京都文京区小石川出身で、日本初の女性弁護士3人の内の1人です。
「虎に翼」の主人公・寅子のモデルが三淵嘉子であり、日本初の女性弁護士3人とは、中田正子、久米愛、三淵嘉子のことなのです。
経歴や共通点
そして3人とも明治大学法学部を卒業した同窓生となります。
朝ドラ「虎に翼」に出てくる桜川涼子も寅子と大学の同窓生であり、華族のお嬢様として登場。
雑誌などにも特集を組まれて登場するほどのお嬢様です。
そのため学校にもお付きの方(お玉)と一緒に登校してきます。
さらに頭が良く英語も話せる女性で、海外で暮らしたこともあります。
中田正子(旧姓・田中正子)さんも東京の小石川生まれの、江戸時代から続く武家屋敷である旧岡崎邸に暮していました。
以上のことから桜川涼子のモデルとなっているのではないかと考えられます。
さらに「虎に翼」第3週では、華族令嬢である桜川涼子の”立場”が描かれていました。
母親の寿子は婿をとり桜川家を守ってきたため、涼子も同じように婿をとり家を継ぐべきと考えています。
実際に中田正子さんにもそのような圧があったのかもしれません。
追記)
桜川涼子のモデルはその育った環境から中田正子さんだと考えられましたが、桜川涼子は中田正子さんのように日本初の女性弁護士3人の内の1人とはなりませんでした。
中田正子さんのように日本初の女性弁護士3人の内の1人として描かれたのは中山千春でした。
虎に翼では、1人に複数のモデルがいるような登場人物もいるので、桜川涼子も華族の設定は中田正子さんのエピソードを元に描かれた人物だと思われます。
そして中田正子さんの日本初の女性弁護士のエピソードは中山千春に引き継がれたと思われます。
虎に翼の桜川涼子(桜井ユキ)のその後は?
結局、桜川涼子はドラマの中で華族の令嬢としての道を選び結婚。
法律家になる道を諦めてしまったというところまでが描かれました。
そして、その後涼子がどうなったのか?についてのお話はまだ登場していません。
もし歴史上、当時の華族令嬢の女性の1人のエピソードとしてその後が描かれるとすれば・・
終戦後の日本ではGHQが政策を行い、財閥解体をしたことが知られています。
そして華族制度が廃止され、昭和23年に財産税法が施行。
これにより10万円以上の財産を持っている場合に重税が課せられることになります。
当時の10万円は現在の数千万円に相当しますが、この制度により、結婚して家を継いだ桜川涼子も苦しい状況になっているはずです・・
そして実は、寅子が新潟の地裁に転勤になり、そこで涼子と14年ぶりに再会することになっています。
新潟で涼子はお付きの玉ちゃんと一緒に喫茶店をしているのです!
結婚相手とは離婚したということでしょうか?!
今後の「虎に翼」にも注目です。
朝ドラ「虎に翼」の桜川涼子(桜井ユキ)のモデル女性の生い立ちや結婚などを紹介
朝ドラ「虎に翼」の桜川涼子のモデルとなっていると考えられる中田正子さんという女性の生い立ちや経歴もご紹介します。
中田正子さんは戦後から平成14年に亡くなるまで、鳥取県弁護士会長や、日本弁護士連合会理事などを歴任していました。
結婚相手
夫は元社会党参院議員の中田吉雄氏であり、中田正子さんは結婚後夫の故郷である鳥取に移り住んでいます。
そして鳥取で弁護士として活躍し、数多くの功績を残しています。
ドラマ「虎に翼」の中での桜川涼子は、父親の不倫の逃避行によりさらに酒におぼれてしまった母親・寿子を見捨てることができず、男爵家の男性と結婚することに…。
この辺りは中田正子さんとは異なるストーリーとなっているようです。
父親と家柄
また、正子の旧姓は田中であり、父の田中國次郎は憲兵少佐でした。
正子はシェークスピアを原語で読む父の影響を受けて育ちました。
正子の家も桜川涼子のように華族のお家柄だったようです。
華族というのは明治から昭和の初期にかけてあった日本の貴族階級のこと。
華族はさらに5段階に分かれており、公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵となっていました。
桜川家はこの中の男爵家という設定です。
当時の華族は今でいうところの「芸能人」のような存在。
実際にドラマの中でもヒロイン寅子の家を訪れた涼子が”庶民”の家(寅子の家)を物珍しそうに眺めたり、入学式では新入生代表としてあいさつしたり、涼子が特集されている雑誌が出てきたりなど、その様子が描かれています。
寅子の家も一般家庭よりも裕福な家なので、華族である涼子の家はさらにそれよりもずっとお金持ちであることが分かります。
子供
自らの長女に「なぜ、弁護士になったの?」聞かれ、照れながら
「失恋したから男性をやっつけてやろうとか、そんなはっきりした動機はなかったの。学問的興味で試験を受けたら合格しちゃったのよ」
と答えたという記録があるのだそう!
華族のお嬢様が答えそうなエピソードですよね。
朝ドラ「虎に翼」の桜川涼子(桜井ユキ)のモデル女性の経歴
朝ドラ「虎に翼」の桜川涼子(桜井ユキ)のモデル女性・中田正子さんの経歴も紹介します。
法律家を目指したきっかけ
中田正子さんは女子師範付属小学校から東京府立第二高等女学校に進み、女子経済専門学校へ入学します。
そこで教育者であり思想家である新渡戸稲造、政治家であり思想家の吉野作造、民法学者の我妻栄の3人に学びました。
このことがきっかけで法律の道に進むことを決めました。
そしてその後日本大学法文学部の選科生(一部の学科のみ学ぶ課程)として入学しそれが修了して、同じ年に明治大学女子部3年次に編入学しました。
そして昭和12年(1937年)に高等文官司法化試験を受験。しかしこの年は口述試験で不合格となります。
翌年の昭和13年(1938年)に再試験を受けて久米愛や三淵嘉子と一緒に合格することになります。
弁護士になった後の活動や晩年
30歳になった年に正式に弁護士となり、東京丸の内にある政治家であり弁護士の岩田宙造の法律事務所に在籍していました。
その頃、雑誌「主婦の友」で法律相談を受けたり、明治大学女性部の女性に対しての法律相談も受けていました。
そして昭和20年、夫の吉雄が結核の療養で出身地の鳥取県に移住したため、正子も一緒に夫の実家に疎開することに。
その3年後の昭和23年。
鳥取県弁護士会に入り住んでいた若桜町を中心として活動をスタートします。
さらに昭和25年には法律事務所を開業し、鳥取県弁護士会会長や日本弁護士連合会理事となりました。
鳥取家庭裁判所調停員、鳥取家庭裁判所参与、鳥取機会均等調停委員もつとめあげ、62年という長い間弁護士活動を継続しました。
そのような活動が認められ、昭和49年(1974年)に藍綬褒章が、昭和56年(1981年)には勲四等瑞宝章が正子さんに授章されました。
平成14年(2002年)10月15日。
91歳で心不全によって鳥取市の病院で亡くなりました。
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まとめ
朝ドラ「虎に翼」に出てくる「桜川涼子」のモデルとなった人物の華族のお嬢様という設定は、中田正子さんなのではないでしょうか。
中田 正子(なかた まさこ)さんという女性は、東京都文京区小石川出身の方で、日本初の女性弁護士3人の内の1人。
この3人の中に「虎に翼」の主人公である寅子のモデルである三淵嘉子さんも含まれています。
ですが、ドラマの中では桜川涼子は高等試験を受けず、家のために結婚という道を選びました。
中田 正子さんの日本初の女性弁護士というエピソードは桜川涼子には反映されていませんでした。
中田正子さんは戦後から平成14年に亡くなるまで、鳥取県弁護士会長や、日本弁護士連合会理事などを歴任。
夫は元社会党参院議員の中田吉雄氏であり、中田正子さんは結婚後夫の故郷である鳥取に移り住み、鳥取で数々の功績を残しています。