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「虎に翼」の桂場等一郎(松山ケンイチ)のモデルは2人!?石田和外&草野豹一郎の生い立ちや経歴を紹介

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「虎に翼」の桂場等一郎(松山ケンイチ)のモデルは誰?経歴などプロフィールを紹介

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「虎に翼」で松山ケンイチさんが演じている桂場等一郎は、どうやら石田和外と草野豹一郎という2人の人物をモデルにしているようです。

いったい等一郎のモデルとなっている方はどんな人物だったのでしょうか?

石田和外と草野豹一郎の生い立ちからその経歴・功績をご紹介します!

ドラマでは桂場等一郎は甘い物が大好きで甘味処に通っていたり、ヒロイン寅子と言い合ったり、母親のはるの剣幕に負けてお団子を食べられなかった可愛いシーンがあったりとかなり魅力的な人物。

ドラマlove子
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モデルとなっている2人にもそんなおちゃめなエピソードもあったのでしょうか?!

「虎に翼」の桂場等一郎(松山ケンイチ)のモデルは2人の理由

「虎に翼」で松山ケンイチさん演じる桂場等一郎のモデルは

  • 裁判官の石田和外(いしだかずと)
  • 草野豹一郎(くさのひょういちろう)

の2人いるのではないか、と言われています。

3つの理由

その理由として

  • 司法省人事課長だった石田和外が三淵嘉子の裁判官採用願を受け取っている
  • 主人公寅子の父親が逮捕される事件のモデルとなっている帝人事件の裁判官を実際に担当したのが石田和外
  • 「三淵嘉子と家庭裁判所の時代」という本の中に明治大学専門部女子部の講師として「草野豹一郎」という名前があった

3つあげられます。

1つ目の理由は「虎に翼」の第1話の冒頭のシーンからとなります。

新聞に掲載された日本国憲法第14条の条文を読んだ寅子が、がれきの中向かった場所に居たのが松山ケンイチさん演じる桂場等一郎でした。

第1話では解説されていませんでしたが、おそらくヒロイン寅子のモデルとなっている三淵嘉子さんは、戦後、司法省人事課長だった石田和外に裁判官採用願を出しているので、そのシーンから始まったのだと推測できます。

2つ目の理由は歴史的事件である『帝人事件』をモデルとしたエピソードをドラマのストーリーに入れたと「虎に翼」のプロデューサーさんが語っていることから、

帝人事件を実際に担当した裁判官である石田和外をモデルにした人物がドラマに出てくるはずであると考えられるからです。

そして3つ目の理由は、実在した人物をモデルとしている回の朝ドラの登場人物は、

そのモデルとなっている人物の名前と似たような名前で登場することが多いからです。

「草野豹一郎」「桂場等一郎」

たしかに似ています。

根拠

ドラマの中で桂場等一郎は大学の講師ではありませんが、穂高教授に頼まれて講義を代行したことで弁当を届けに来た寅子と出会っています。

ドラマでは桂場等一郎と寅子は様々な場面で会話していますが、史実では三淵嘉子と草野豹一郎は大学の講義以外での接点はないようで、逆に石田和外も学生時代の嘉子との接点はないようです。

なので、「桂場等一郎」という人物は草野豹一郎と石田和外という2人の実在した人物を混ぜて作られた登場人物なのではないでしょうか。

ただ、残念ながら草野豹一郎と石田和外の両人物に「甘味が好きだった」というエピソードは見つけられませんでした。

桂場等一郎の甘い物好きはドラマの中だけでの設定のようですね!

「虎に翼」の桂場等一郎(松山ケンイチ)のモデル石田和外の生い立ちや経歴

「虎に翼」で松山ケンイチさん演じる桂場等一郎のモデルの1人石田和外の生い立ちや経歴もご紹介します。

どんな人物?

いったいどんな人物だったのか簡単にまとめると・・

  • 司法省の人事課長だった時期がある
  • 帝人事件を担当
  • 最高裁判所判事
  • 第5代最高裁判所長官
  • 政治活動家
  • 第2代全日本剣道連盟会長

となります。

生い立ち

福井県福井市出身の石田和外の父親は福井県庁の職員でした。

おじいさんは福井商工会議所初代会頭であり、第九十二国立銀行頭取、福井市議会議長でもあった石田磊という方です。

石田和外が地元の福井中学校に通っていた頃、父親が46歳という若さで亡くなり一家で東京に出てくることになります。

そして千代田区にある錦城中学校に転校します。

そこからのちの東京大学教養学部、千葉大学医学部・薬学部となる旧制第一高等学校に進学し、さらに東京帝国大学法学部に入学することとなります。

経歴

東京帝国大学法学部を卒業後に司法省に入り、刑事裁判官の道へ

1934年4月には帝人事件の裁判官の1人として判決を提示し、その際「水中に月影を掬するが如し」という名言を残しました。

そしてこの裁判で全員に無罪の判決を言い渡し、注目されました。

その後司法省が廃止され、最高裁判所事務局(今の最高裁判所事務総局)の人事課長、人事局長、事務次長を経て、東京地方裁判所所長、最高裁判所事務総長、東京高等裁判所長官となり、さらに1963年6月6日に最高裁判所判事となります。

そして最高裁判所長官をつとめました。

晩年

長官を退官後1978年に政治団体である元号法制化実現国民会議を結成し、議長となりましたが、その1年後の1979年に亡くなっています。

元号法制化実現国民会議というのはのちの「日本を守る国民会議」(日本会議の前身となったものの一つ)です。

「虎に翼」の桂場等一郎(松山ケンイチ)のモデル草野豹一郎の生い立ちや経歴

一方、桂場等一郎のモデルとなったもう一人の人物・草野豹一郎(くさのひょういちろう)の生い立ちや経歴もご紹介します。

草野豹一郎は、裁判官であり法学者、弁護士となった人物です。

生い立ち

草野豹一郎は熊本藩士だった父親・宣隆の長男として明治19年(1886年)10月7日、現在の東京都千代田区に生まれました

そしてのちの都立日比谷高校となる東京府立一中、さらに京都の旧制第三高等学校(現在の京都大学総合人間学部と岡山大学医学部)で学び、東京帝国大学法科大学独法科に入学しました。

経歴

卒業後は司法官試補となり東京地裁に所属し、1914年に東京地裁予備判事となります。

そして、中央大学や早稲田大学、東京商科大学で講師をしながら東京地裁裁判所部長、司法省参事官と刑事局を兼務し、1924年12月には大審院判事につきました。

この様々な大学の講師をしていた時に、明治大学女子部の講師もしていたのではないでしょうか。

1951年(昭和26年)の9月12日に亡くなっています。

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まとめ

「虎に翼」で松山ケンイチさん演じる桂場等一郎のモデルは裁判官の石田和外(いしだかずと)法学者の草野豹一郎(くさのひょういちろう)ではないかと言われています。

その理由として

・司法省人事課長だった石田和外が三淵嘉子の裁判官採用願を受け取っている
・主人公寅子の父親が逮捕される事件のモデルとなっている帝人事件の裁判官を実際に担当したのが石田和外
・「三淵嘉子と家庭裁判所の時代」という本の中に明治大学専門部女子部の講師として「草野豹一郎」という名前があった

という3つがドラマの中の設定やシーンと一致しそうだからです。

そして事実とドラマでのエピソードを比較して考えると「桂場等一郎」という人物は草野豹一郎と石田和外という2人の実在した人物を混ぜて作られた登場人物だと考えられます。

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