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朝ドラ「虎に翼」の寅子のモデルは三淵嘉子!最終回結末トラちゃんはどうなる?

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朝ドラ「虎に翼」の主人公寅子のモデル

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朝ドラ「虎に翼」の主人公・寅子(ともこ)にはモデルとなった女性がいます。

それは日本初の女性弁護士となり後に裁判官も務めた三淵嘉子さんという方。

いったいどんな女性だったのか?どのような生涯を送った方なのか?その人生に迫ります。

2024年4月1日から放送の朝の連続小説第110作となる「虎に翼」は、主人公・寅子を伊藤沙莉さんが演じることでも注目されています。

力強く可愛らしい伊藤沙莉さんが演じる寅子のモデルとなっている女性・三淵嘉子さんはいったいどんな方だったのでしょうか?!

朝ドラ「虎に翼」の寅子のモデルの女性は三淵嘉子

2024年度前期連続テレビ小説「虎に翼」で伊藤沙莉さん演じる主人公「猪爪寅子(いのつめともこ」」は日本初の女性弁護士になるために道なき道を切り開くために奮闘していきます。

この猪爪寅子のモデルは、三淵嘉子(みぶちよしこ)さんという女性です。(旧姓は武藤嘉子さん)

 

実際、三淵さんは「虎に翼」で描かれる通り、日本初の女性弁護士の1人であり、日本で初めての女性弁護士・判事・裁判所所長となった方。

三淵さんは明治大学の女子部で法律を学び、卒業後には司法試験に合格。

1940年には弁護士を始めます。

そして大学の同窓生の中田正子、久米愛とともに、日本初の女性弁護士となりました。

さらに1947年に裁判官採用を願い出て、1949年に東京地裁の判事補として女性裁判官となり、1952年には日本初の女性判事となります。

そして、1956年に初代最高裁判所長官の三淵忠彦の息子であった乾太郎と結婚し、三淵姓になりました。

女性の法律家として第一線で活躍してきた方をモデルにした「虎に翼」、どのような話になるのか、楽しみですね!

朝ドラ「虎に翼」の寅子のモデル・三淵嘉子の生い立ち

大正3年1914年11月3日にシンガポールで生まれた三淵嘉子さんは、台湾銀行に勤めていた父親・武藤貞雄の長女でした。

生まれた場所がシンガポールだったためシンガポールの漢字表記に用いられていた「嘉」の文字から嘉子と名づけられたのだそう。

その後父親のニューヨークへの転勤にはついて行かずに先に帰国し香川県の丸亀にしばらく住んでいましたが、大正9年に父親と合流し東京都の渋谷区での暮らしが始まります。

シンガポールやニューヨークで働いていたこともあってか、父親の貞雄は男女平等の考えがあり、嘉子さんによく「普通の”お嫁さん”にはなるな」「専門の仕事をもつための勉強をしなさい」と言っていたのだそう。

朝ドラ「虎に翼」の寅子のモデル・三淵嘉子の経歴

そのように言い聞かされて育った嘉子さんは、青山師範学校付属小学校、東京女子師範学校附属高等女学校(現・お茶の水女子大学付属高等学校)と進学し、卒業後は、法律を勉強することを決意します。

ちょうどその頃、法律が改正され女性も弁護士になることが認められた頃でした。

ですが、弁護士になるためには文部省から指定を受けていない女子専門学校卒では司法試験を受けることができませんでした。

そこで、法改正に伴い新設された明治大学の『専門部女子部法科』という学科を卒業し、その卒業生に編入が認められていた明治大学法学部に編入するという異例の道をたどります。

そして見事、昭和13年3月に卒業を果たした嘉子さんは、同年11月に司法試験(高等文官試験司法科)に合格します。

この時一緒に明治大学の同級生の中田正子さんと1学年下の久米愛さんも合格しています。

その後、弁護士補を経て、昭和15年の6月に弁護士として登録し、女性初の弁護士が誕生することとなります。

ただ、戦時中はなかなか弁護士としての活動ができず、自身が卒業した明治大学専門部女子部法科での助手をつとめその後は助教授にもなっています。

そして戦後の昭和22年に、女性も司法官になる人がいるべきという考えから、裁判官採用願いを司法省に出しています。

ですが、なかなか裁判官としては採用されず、しばらく勉強も兼ね司法省に入省することに。

それから2年後の昭和24年にようやく東京地裁民事部の判事補になることが認められ、当時日本では2人目の女性の裁判官となります。

その後半年渡米し家庭裁判所を視察したのちに帰国し、昭和27年に名古屋地裁で初の女性判事となります。

東京地裁の家裁に移ってからは民事裁判で少年審判を担当。

昭和47年には新潟家裁所長となり、女性初の裁判所所長となりました。

朝ドラ「虎に翼」の寅子のモデル・三淵嘉子の晩年

裁判官を定年となり退官した三淵嘉子さんは、弁護士として開業しながら、労働省男女平等問題専門家会議座長や東京家裁調停委員兼参与員、東京都人事委員会委員、労働省婦人少年問題審議会委員などを歴任されました。

大学の記念公演では「エリート意識は持てなった。自分に力をつけて人間らしく生きて行こうという気持ちが強かった」と学生たちに伝えています。

そして、昭和59年に69歳で生涯を閉じます

葬儀や告別式には2千人もの人が別れを告げに訪れたのだそうです。

家裁の所長時代には、調停室の汚れた壁を白に塗り替え明るくしたり、カーテンも新しく変え壁には絵を掛け、廊下には静かな音楽を流すなど、家庭裁判所を訪れた人々の心を和ませるための工夫をしていたという三淵嘉子さん。

女性ならではの細かやな気遣いもできる日本初の女性弁護士・判事・裁判所所長だったことが伝わってきます。

そんな三淵嘉子さんの生き方を描いた「虎に翼」の最終回は、まさかの主人公・寅子役の伊藤沙莉さんがすでに亡くなっているところから始まる衝撃的な回でした。

トレンドにも「ナレタヒ」と上がるほど。(ナレーションで主人公が亡くなったことを知らせる演出のこと)

ですが、「虎に翼」は寅子だけでなく全ての女性に対しての物語としても描かれているので、寅子の最期を時間をかけて描くことはあえて避けたのかもしれません。

そして現在の問題にも続いていくような、新しいタイプの朝ドラでした!

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まとめ

テレビ小説「虎に翼」で伊藤沙莉さんが演じる主人公の「猪爪寅子(いのつめともこ)」は三淵嘉子(みぶちよしこ)さんという女性がモデルです。

三淵さんは「虎に翼」で描かれる通り、日本初の女性弁護士の1人であり、日本で初めての女性弁護士・判事・裁判所所長となった女性です。

三淵さんは明治大学の女子部で法律を学び、卒業後には司法試験を受け合格し、日本初の女性弁護士を経て、1949年には東京地裁の判事補として女性裁判官となり、1952年には日本初の女性判事に、1972年の昭和47年に女性初の裁判所所長となっています。

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