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朝ドラ「虎に翼」の穂高重親(小林薫)のモデルは誰?どんな人物?寅子との関係!

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朝ドラ「虎に翼」の穂高重親(小林薫)のモデルは誰?どんな人物だった?

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朝ドラ「虎に翼」に登場の、小林薫さん演じる穂高 重親。

物語の中で主人公・寅子にとってとても重要な人物となってきますが、モデルは誰なのでしょうか?

どんな人物だったのか?探りました。

朝ドラ「虎に翼」の穂高 重親(小林薫)のモデルは誰?

朝ドラ「虎に翼」の穂高 重親(小林薫)のモデルとなったと思われる人物は、穂積重遠(ほづみ しげとお)という男性だと思われます。

穂積重遠(ほづみ しげとお)は、穂積陳重の長男かつ、新紙幣にもなる渋沢栄一の初孫であり、「日本家族法の父」とも呼ばれた法学者でした。

母親の歌子が渋沢栄一の娘でした。

1883年に東京で生まれ、法に関する分野で活躍し、1951年に68歳でなくなっています。

親族には祖父から従兄弟まで、大蔵大臣や文部大臣、参議院議員、広島県知事など幅広く活躍した人物が多くいます!

朝ドラ「虎に翼」の穂高 重親(小林薫)のモデルはどんな人?生い立ちや経歴を紹介

朝ドラ「虎に翼」の穂高 重親のモデルとなった穂積重遠(ほづみ しげとお)とはどんな人だったのか?生い立ちや経歴も紹介。

穂積重遠(ほづみ しげとお)は、子供時代、祖父の渋沢栄一の影響もあり論語に興味がありました。

現在の筑波大学付属小学校中学校高等学校(当時は東洋高等師範学校附属小学校中学校)に進学し、1908年に東京帝大法科大学を卒業しています。

音楽にも精通しており、一高時代に校歌「都の空に」も作っています。

卒業と同時に大学講師として任命され、同じ年に結婚もしています。

その後は民法や法理学研究のために、1912年10月に東京を立ちドイツ・フランス・イギリス・アメリカに留学。

留学時の研究として「戦争ト契約」が有名。

また「婚姻予約判決の真意義」という研究もしており、のちに「離婚制度の研究」という大著を執筆しています。

そして帰国した後は東京帝大の教授になり、民法や法理学講座を担当。

その分野に関する多くの業績や、数々の著書を残してきた人物です。

家族法を専門とし、数々の口語化・大衆化に努め、「日本家族法の父」とも呼ばれていました。

東京大学教授定年退官後は、東宮大夫を経て最高裁判所判事にもなりました。

弁護士法の性別条件をなくし改正したのも穂積重遠です。同じ年の1933年に児童虐待防止法も制定しています。

朝ドラ「虎に翼」の穂高 重親(小林薫)と寅子との関係

朝ドラ「虎に翼」の穂高 重親のモデルとなった穂積重遠は、女性法律家を育てることに尽力し、明治大学女子部を創設しています。

この明治大学専門部の女子部に入学した学生の1人が寅子のモデルである三淵嘉子です。

当時の女子部への入学者は150名でしたが、卒業できたのは54名だったと言われています。

そのうちの3名が見事高等文官試験司法科に合格することになり、そのうちの1人が三淵嘉子ということになります。

女権拡張を進める考えだったこともあり女好きと言われることも多かった穂積重遠ですが、実際はどうだったのでしょうか?ドラマでどのように描かれるのか注目です。

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まとめ

朝ドラ「虎に翼」の穂高 重親(小林薫)のモデルとなったと思われる人物は、穂積重遠(ほづみ しげとお)という男性です。

穂積重遠(ほづみ しげとお)は、穂積陳重の長男かつ、新紙幣にもなる渋沢栄一の初孫であり法学者であり、1908年に東京帝大法科大学を卒業しています。

家族法を専門とし、数々の口語化・大衆化に努め、「日本家族法の父」とも呼ばれており、最高裁判所判事にもなっています。

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